ニューアルバム『うなさか』のエピソードシリーズ第2弾♪
今日は「光さんさん」のお話をしたいと思います。
これがまた、書いてみるとあまりに長くなっちゃったので、2回に分けてお送りしますね。
なにしろ11年分の話なので、ついつい身の上話みたいになっちゃって。(笑)
では、はじまりはじまり~
いきなり、ヘンな話をするようですが、、、
あるビジョンを見たのです。
まばゆいばかりの光が、見えて、仕方がないのです。
私はこのビジョンを“光の予感”と名づけて、探すことにしました。
1993年のことでした。
そしてまず、このイメージを1曲に託したのです。タイトルは「光さんさん」です。
それは、出口がわからないほど苦しくて、つらい時期のことでした。
それなのにどうしても先に、光が見えて、仕方がなかったのです。
その頃、私は、3年間在籍させていただいていた沖縄の人気グループ、りんけんバンドを辞めて、東京へ出る決心をしていました。
なぜ東京なのか、なぜそこにビジョンを感じるのかも、よくわからなかったのですが、
“光の予感”に出会う時期だけはなぜか、1995年から97年ごろ、と感じていたんです。
そしてサビには、その時の想いそのまんまに、
「まだ見ぬ未来に 光さんさん」
と託しました。
その後、東京へ移り、ラジオCMや若手舞踏家の舞台音楽などを創りながら、“光の予感”を探していました。「光さんさん」のデモも、知り合いのレコード会社の人などに、ことあるごとに配っていたんですが、手応えはありませんでした。
1995年が過ぎ、1996年の夏が過ぎて、相変わらず“光の予感”は見つからないまま、ちょうどこの頃、たまたま訪れたのが、ヒデログのガイアの話の中にも出てきたプチミュゼ美術館での名嘉睦稔木版画展でした。
畳12畳大の大作品が、2つも、ばばーんと。
あの「御陽加那志」と「御陰加那志」もありました。
衝撃的でした。睦稔さんって、世界的な才能の人だったんだ、と、
その時、はじめて知りました。
そしてBGMには、りんけんバンドなど沖縄を代表する音楽家の曲が流れていたんです。
思わず、涙が出てしまいました。
それは、睦稔さんの絵のあまりの素晴らしさと、まだここに自分の曲が加われないでいることに。生意気な話ですが、、、「光さんさん」が合うような気がしたのです。
私は心の中で「光さんさん」を歌いながら、いつかここで並んで流れるような、作曲家と言われるようになれたら、と思ったのでした。
作曲編曲プロデュースをやる、というのが、学生時代からの私の音楽家としての目標。
だから、いくら今を時めくバンドでキーボードを弾かせていただいても、山ほどCMの曲を創らせていただいても、独立した作曲家として認められなければ、まだまだ、という思いがあったんですね。
そしてひとりで始めたものの、音楽を続けていくことにもそろそろ限界を感じていて、東京で共に奏でてくれる仲間を見つけられれば・・・その思いさえも、小さく消えてしまいそうでした。
そうこうしているうちに、1996年も過ぎようとし、一向にそれらしい光の予感は訪れず、とうとうしびれを切らして、待って来ないのなら自分から仕掛けよう、と、インディーズ盤のシングルCDを創りました。
そしてそのCD「OPEN TO ASIA」には、LUZというポルトガル語の光を意味する単語を型番号に使い、これを持って光の予感に終止符打った、と自分に言い聞かせることにしたのです。
その頃、東京での暮らしもだいぶ慣れ、睦稔さんを慕って集っていたボクネン組という会に参加させてもらうようになり、沖縄出身というだけでかわいがってもらってました。(笑)
なにしろ、文化の違う本土で、「・・だわけ」とか「いみわからん」なんて言ってるだけで、喜んで人気者にしてくれるボクネン組の人たちは、心強くありがたい存在。
ヒデオさんとゲレンさんも、その仲間でした。
ちなみにその頃、ヒデオさんはボクネンさんのプロデュースを手がけ、
常設画廊のオーナー。ゲレンさんは人気FM局の敏腕営業マン。
そんなボクネン組の集まりの中で、ヒデオさんが
「昔、ギターでスタジオミュージシャンをやっていた」
と言ったことがありました。スタジオミュージシャンと言えば、かなり腕に覚えがあるはず。
そういえば、よく見渡すと、画廊にはありえないほど立派なタンノイのスピーカーが。
スティーリー・ダンやパット・メセニーなど、洒落たCDをかけてる・・・
ゲレンさんとヒデオさんが交わす、好きな音楽談議も、なかなか奥が深く、思わずニンマリしてしまうもの。
それから、画廊に出かけてヒデオさんとちょっとDEEPな音楽の話をするのが楽しみになっていた私は、ある時ふと冗談半分に、もう封印しかけていたあの「光さんさん」のデモを、渡してみたのです。
するとその日の夜、ヒデオさんから電話がありました。
今、デモテープ聴いてるよ、と。そして
「あんた、音楽ぜったい続けなさい!この「光さんさん」ってすごく良いよ!」
そしてさんざん「光さんさん」を絶賛してくれたあと、
この曲、ガイアのエンディングになるんじゃないかと、言うのです。
「そのくらいの曲だから、この曲、必ず世に出るよ」
そのとき、はっきりと感じました。“光の予感”は、これだ、と。
梅雨だというのに、うそのように爽やかな晴天が続いていた、1997年6月のことでした。
つづく。